犬の多頭飼育その2

真夜中にドタンバタンと大きな音をさせて息子が部屋から飛び出してきました。まだ床に就いたばかりの私は何事だろうと飛び起きました。

わけのわからない大きなものが、急に部屋の中でバタバタと飛び始めたとのことでした。ゴキブリは大の苦手だし、恐る恐る部屋を覗いてみて、やっと正体を見つけました。でも黒ずんでいて、じ
っとしているので私には何だかわかりませんでした。息子がこうもりだと言ったので、やっと納得したような気持ちでした。

私は虫すら触れないのですが、こわごわ布で掴んでみました。へばりついていたようで、少し力をいれて手に取りました。じっとしていて動きません。羽を折りたたんでいて、細長い小さなマッチ箱
くらいの大きさです。老眼で目が悪い私は虫眼鏡で観察してみると、顔が見えました。針の穴のような小さな目が両脇についていて耳もちゃんとついています。割と可愛いではありませんか。

全体は茶色がかった灰色の毛で覆われています。羽を広げると折りたたんでいたときの5、6倍もあるでしょうか。さて、どうしたものか。まずはインターネットで調べてみました。たぶん、いえこうもり(あぶらこうもり)のようです。家に棲むとのことですが、詳しいことはわかりません。このあたりは丘陵地帯で民家が密集していますが、小山はあちこちにあり、緑は都心より多いところです。どうやって家の中に入ったのでしょう。

いえこうもりを保護している人がミルクをあげて育てているとの情報を得て、早速ようじやこよりなどでミルクをあげてみましたが、1回だけ口を動かしましたが、飲もうとしません。仕方がないので、水や果物を置いてかごをかぶせました。すると、大きな羽を広げてかごの横にへばりついたのです。娘もまだ起きていて、3人でしばらく観察しました。しかし、布をかごにかけて、皆寝ることにしました。

朝、同じように羽を広げていました。干からびて死んでしまっては可愛そうですので、しっかりふんばっている手をほどいて、また布でつかみました。パタパタと飛びそうにないので、庭の裏の木に乗せてあげました。すると、よちよち上に登っていき姿が見えなくなりました。

その後どうしたかとても気になりましたが、姿は現しませんでした。無事生き延びたのでしょうか。
7月の初旬はお産の時期だそうですが、子供だったのでしょうか。こうもりなんて別にめずらしくないかもしれませんが、私たち家族にとっては、いい自然観察になりました。それに、ちょっぴりこうもりについて関心を持つようになりました。

2004.8.2

こ う も り

                      アテネオリンピック

アテネのオリンピックが終わってしまって、気が抜けたような、ほっとしたような気持ちになった。今
回は序盤から日本選手が大活躍だったので、よけい盛り上がった。メダル候補に挙げられた選手が出る競技は、生中継がたいてい夜中の1時半以降だったので、眠い目をこすりながらもつい見てしまい、寝不足な毎日が続いた。日本中オリンピック一色で、多くの人が寝不足の毎日を送ったのだろう。

戦っている選手の表情は実に美しい。自分の持てる全ての能力を出し切り、全身全霊で試合に集中している。観戦しているこちらもやはり緊張して応援してしまうが、選手本人の緊張感はすごいものがあるのだろう。体操の塚原選手が、「気絶しそうでした。」と言っていたが、本当にそんな感じなんだろう。

過酷な練習の日々を送り、試合の日にベストコンディションにもっていくことはとても大変なことだと思う。試合前日はよく眠れなかったという選手の声を聞くが、それでも偉業を成したりするのだから、本当にすごい。結果が明暗を分けてしまうので、苦しい練習の日々を喜びの気持ちで思い出したり、悔しい気持ちで思い出すのだろう。

結果はともあれ、まさに死に物狂いで戦っている選手を見て、とても感動してしまう。凡人には体験できないことを体現してくれるから。凡人が一生のうちに感じる緊張感、努力、精神力では計りしれないような境地なのだろう。

能力の限界まで努力する選手たちと比べて、凡人の自分はどれだけのことをしているか。どれだけの緊張した経験をしているか。とうてい比べ物にならないが、そんな自分を少しでも反省したい。
歳をとるとともに頭の回転が悪くなり、体力も衰えて、何をするのも億劫で、自分をますます甘やか
してしまう。選手たちが与えてくれた感動を忘れないようにしたい。熱しやすく冷めやすい典型的日本人の1人なので、肝に銘じたい。
まずは、積年の怠慢でぶよぶよしたお腹を少しは引き締めるように努力をしようか。

2004.9.3
                       オ ヤ ジ

「まるでオヤジだね。」「オヤジくさい」とか、女の子やおばさんが言われたりして、なんとなくニュアンスは分かるのだけれど、「オヤジ」って何だろう。

自分はおばさんだけれど、この際「オヤジ」についてだけ考えてみたいと思います。まず、
1. 外見からも内面からも若さが感じられない。
2. 周りを気にせず、人前で平気でオナラをしたり、シーハーしたりする。
3. 駄洒落を好み、他人をしらけさせてもひとりでおもしろがっている。
4. 野球をテレビでみるのが唯一の楽しみで、暇さえあればスポーツ番組のはしごをする。
  つまり、楽なことで暇をつぶす。
5. 家でくつろぐときは、だらしのない格好をしている。
6. ストレスは仲間と酒を飲みながら上司や会社の悪口を言い合って発散する。

などなど、自分なりに解釈してみましたが、「オヤジ」の定義はあるのでしょうか。なんだか、だらしのない代名詞みたいな気がしてきました。
まあ、当たらずとも遠からずと思っているのですが。中年のおじさん、ごめんなさい。
「おばさん」の欠点をあげたらまた限のないほどあるでしょうが、私もひょんなことから「それってオヤジね。」って言われたことがあり、ふと考えるきっかけになりました。

毎日疲れて帰ってくるのだし、人生長いといつまでも若さを保つのはしんどいので、当然のなりゆきなんでしょうね。
でも若さを感じさせる人もいるわけで、やっぱり努力と気の持ちようなんでしょうか。

2004.10.5

今年は台風の当たり年だったようだ。確か台風24号まであったと思う。次から次と発生して各地に大きな被害をもたらした。その影響なのだろうか。野菜の値が高騰した。まずきゅうりが先に高くなった気がする。1本20、30円のものが倍以上になりだした。そのうち大根、キャベツ、ナス、ネギ、レタス、トマト、白菜、エノキ茸、などなど普段食べている野菜が軒並み2、3倍の値段になってしまった。

料理に野菜は欠かせない。健康にも肉や魚以上に摂取が必要だ。だから、主婦にとって、野菜の値上がりは、本当にこたえる。いままで、肉や魚より格段に安いし、大量に必要なので、ふんだんに野菜を買っていた。でも、いままでどおりに買い物していたら、とんでもないことになるので、高い野菜はなるべく、買わないようにした。どうしても必要なもの以外は買わず、価格の安定しているものだけ買うようにした。

今までは大量に買い込んだ野菜が、冷蔵庫の中で埋もれてしまって、使わないうちに腐らせてしまうことが結構あった。
もうそんなもったいないことはできない。対抗策として、安い野菜を使った料理を作るしかない。あとは冷凍野菜を利用するとかでまかなうようにする。

こうなってみると、今までいかに野菜を粗末に扱ってきたか反省させられる。歳をとると、野菜が一番おいしいと思える。肉や魚より消化がいいし、体にすんなり入っていく気がする。野菜そのものの旨みもあるし、料理の旨みも出してくれる。やはり、なくてはならない食材だ。

台風の被害は甚大で、被災者や生産者の方には申し訳ないのだけれど、台風によって、自然の恵みを再確認させられる。暖かい太陽や豊かな自然があってこそ、恩恵を受けられる。日本は水もおいしいし、豊かな自然に恵まれすぎているので、普段ついありがたさを感じない。たまに、ありがたみを再確認する機会が必要なのだろう。


2004.11.8

高い野菜

相変わらずオレオレ詐欺が横行していて、被害額は相当なものらしい。世の中不景気の風が吹いているのだから、善良な人々を騙すのはもってのほかだ。

詐欺といえば、恥ずかしながら私にも思い当たるふしがある。無料のお試しお掃除のような電話での営業から、実際には高額な浄水器を買わせられそうになった。それにいかにも公共の関連業者を名乗るセールス業者に屋根の修理を頼んでしまった。修理にきたのは3人の若者で、何も分からないのでどうしようと言っているのが聞こえてしまった。 代金の請求にきたときに、修理した箇所の写真をもってきたが、こちらは素人なので、ちゃんと直っているのかわからない。結局我が家としては高額な代金を支払い、クレームをつけるすべもなく、そのままになっている。

家にいるとセールスの人が多くやってくる。我が家は敷地内にしかインターフォンが設置していないし、犬がけたたましく吠えてくれるので、セールスはしずらいほうなのだけれど。

もちろん良心的なセールスもあるでしょうが、気をつけたほうがよさそうだ。
ユニフォームを着て信用させ、何か理由をつけては付け込んでくる。「無料点検をしています」とか「工事の車がご迷惑をお掛けしています」とか、もっともらしいことを言ってくる。そのうち「奥さん、ここのところが・・・・」「屋根の何番目の瓦のところが・・・」などと、素人に分かりにくいことをあえて指摘するのが手のようだ。くわばらくわばら。

敵も騙しのテクニックをいろいろと研究してくるから、こちらも頭をひねる必要がありそうだ。オレオレ詐欺には、「支払うお金もないのだけれど、どうしましょうか?」と聞いてみるとか。
多様なセールスへの対応はちょっとやっかいだ。「親戚に同業者がいるので」とか言おうかしら。

2004.12.9

詐欺商法

前から犬の多頭飼いが夢だったが、インターネットの里親募集情報で、見つけた犬がとても可愛く、主人も気に入って、突然夢をかなえることになってしまった。
本当のところ多頭飼いの大変さはあまり深刻に考えていなかった。ただオス同士や相性が合わなければ難しいだろうくらいしか思いめぐらさなかった。

気に入った犬はメスの3歳10カ月の雑種(さち)。飼い犬(ノア)は2歳8カ月のオスの雑種。里親になることを申し込んで、12月29日に熱海から八王子までわざわざ連れてきてくださることになった。首を長くして待った当日は、初雪が降ったさんざんな天候だった。

キャリアバックに入れられたさちは、何事が身にふりかかったのかわからず、恐怖で悲しげな声をあげた。ところがバックから出されてノアと対面すると2匹とも歯をむき出し、恐ろしい形相で激しく吠え始めた。2人がかりでそれぞれのリードを持って、引き離したが激しさは止まらない。そこで、気を紛らわすように主人と2匹を散歩に連れていった。さちは神経が高ぶっているので下痢便を何回もした。散歩が終わってもこれで簡単に上手くいくわけがなく、状況は変わらなかった。

予想外のことで内心非常に困ったが、さちが可愛かったので、なんとか仲良くなれるようがんばってみることにして、保護者の方から引き取ることになった。この時点から覚悟の飼育が始まった。2匹を近づけると殺し合いもしかねないような激しいけんかになるので、まずノアは1階、さちは2階でめんどうをみることにした。さちは特にかかっりっきりの世話になった。夜は主人がさちと同じ部屋で寝て、私はノアについてコタツで寝た。体をずっと触ってあげていたが、ノアはさちの出現で大変ナーバスになり、寝るどころか低くうなり、体を小刻みに震わせていた。大きなストレスを抱えているのがよく分かった。

さちはそのストレスがもっと大きかったのだろう。始終体をこわばらせてちょっとしたことにも、うなったり噛み付いたりした。3日ほど隔離生活をしたあと、実家の飼い犬のケージを借りてその中にさちを入れた。するとケージ越しには吠えたりしないのだ。お互いに存在を確認させて少しずつ触れさせることにした。ちょっとの時間ケージから出すとすぐけんかが始まったが、何回かするとけんかまでにわずかな間ができるようになった。しかし、問題だったのは、さちが特に人に対して際限なくマウンティングしてきて、止めさせるとうなって噛み付くし、物に八つ当たりして、噛み千切り始めるのだ。もちろん犬同士でもさちがマウンティングし、ノアが反撃しバトルが繰り返された。

あまりに困って、お正月にもかかわらず、愛犬の出張訓練のサイトをネットでみつけメールで相談した。アドバイスを受けてちょっと気持ちが楽になった。またご縁で家に様子をみに来てくださることになった。さすが、専門家だ。知らない人には吠え止まないノアがすぐなついた。さちもちょっとうなっただけで2匹ともすっかり先生の言うなりだ。言うことを聞くと、まず座らせてごく小さなおやつを手のひらにのせて与えた。基本は人間がリーダーになって、人間が快適に過ごせるように犬をしつけることだそうだ。いけないことをしたときは、やめたらほめておやつを与える。そのうち条件反射でおやつを与えなくてもいうことをきくようになることを、目の前で確信することができた。時間はかかるかもしれないが、確実に犬との関わりを変えていくことができるのだ。貴重なアドバイスをいただいて本当に役立った。

さちをもらった動物の愛護団体の責任者の方からも、何度もメールやお電話をいただき、大変参考になったし、とてもありがたかった。バトルはそう簡単には終わらないだろうけれど、仲良く散歩もできるし、並んで寝ている姿を見ていると本当に可愛い。
こんな具合で、あっという間に過ぎ去った年末年始だった。

2005.1.11

年末年始てんまつ記

動物の愛護団体で新しい犬(さち)をもらってから1カ月半になった。
犬の世界では出会い方にルールがあることは全く知らなかった。いきなり目と目が合うようにしたり、どちらかの家で初対面をさせるのダメで、家の中以外の場所で、まずはお互いのにおいをかがせて徐々に慣らしていくようにしなければいけなかったのだ。

あまりに大変な出会い方をさせてしまったので、2匹にはかわいそうなことをしてしまった。でもおかげで犬の飼育について、こちらも勉強させてもらった。別に勉強しなくたって犬は飼えるわけだけれど、どうしたら上手く飼育できるかと、ちょっと考えるようになった。

さちのマウンティングは、特に人間に対してはやらせないようにした。ちょっと手荒く拒絶して、しばらく無視するようにしたところ、かなりしなくなったし、言葉でも止めたりするようになった。噛み癖も減ってきた。いちばん問題だったけんかは、相変わらず暇さえあればしていたが、低い声で怒っても止めないので、実力行使に切り替えた。はたきを持ち出し、けんかをしたらたたくふりをしたら、たたかれる前に、2匹ともビビッてけんかを止めた。まだまだときどきするけれど、言葉で制すると結構止めるようになった。

我が家のルールとしては、先住犬(ノア)を優先させることにしている。ご飯をあげる、手足を洗う、名前を呼ぶときなどだ。その他、ほめたり、しかったりは平等にしている。自己流の部分も多いかと思うのだけれど、犬の性格や犬同士の組み合わせもあるし、当分このやり方でいこうかと考えている。

まったく知らない犬同士なのだから、関係が上手くいくには時間がかかるのは当然なので、まだ1カ月半だったら上手くいったほうかもしれない。とにかく手がかからなくなった。

両方ともおとなしいほうではあるけれど、よく観察していると、まったく正反対な面がいっぱいあっておもしろい。姿や大きさ、顔の形も違うし、性格も違う。ノアはおっとりしていて、あまり機転がきかない。さちは気が結構強くて、機転がきく。一方が、うるさくしているときは、妙にもう一方が静かにしている。ノアは甘えん坊のくせに、よそよそしくしている。さちも甘えん坊なのだけれど、しっかりしていて人懐っこい。良さがそれぞれ違っているので本当におもしろい。ノアが嫉妬心からさちと私の行動をじっと見詰める目や、さちがこちらの考えていることを察知しようと、上目づかいで見る目はなんだか見ているとおかしくなってしまう。人間のほうが幸せな気分にさせられているのかもしれない。

2005.2.8

お金が原因で起こる事件が実に多い。事件を起こす人たちは未成年から老人、外国人と多岐にわたっている。お金が奪われるだけでなく、命まで簡単に奪われてしまう世の中になってしまった。現に私の住んでいる町会内でも被害にあわれるお宅が増え、注意を促す回覧板が回ってくる。

昔のことを言うと笑われるが、私の子供時代は、まださほど経済が発展していなかったこともあって、多少の差はあってもみな豊かではなかった。周りが豊かでないと、自分もお金が欲しいとあまり思わないのかもしれない。今のようにお金が関係する凶悪な犯罪は記憶にないほどなかった。

今は貧富の差が大きい。リストラで失業中の人々が多いというのに、反面IT関連の仕事で億のお金を稼いで、高級車に乗り、億ションに住んだりしている若者もいる。周囲に手に入れたい物がたくさんあれば、やはり欲望を感じざるを得ない。

先日TVのニュースで観たのだけれど、全財産を自分達の死後、寄付されるという富豪のご夫婦がいらして、金銭問題が起こることは必至なのでいっさい親類縁者には遺産を残さないそうだ。気持ちは分かる気がする。どうしても金銭問題は人間関係に亀裂を生じさせてしまうだろう。

最低限の生活、ちょっとしたゆとりを持てる生活、おいしい物を食べ、センスのよい上質な物に囲まれる生活、欲望は果てしない。

ハリソン・フォード主演の「目撃者」という映画は、欲望を禁じ質素に堅実に生活している人々の独自の共同体が舞台になっていた。虚飾を避け、同じ服装をして、皆が助け合って家を建てたり、身を守ったりしている。そんな社会に日本はなれそうにないし、欲望を感じたひとりひとりが禁欲の中で生活できなくなってきている。つい、ほんのちょっとでもいいからぜいたくしたいな、などと考えてしまう私自身がいる。

2005.3.3

お金が欲しい気持ち

今年の桜の開花は少し遅かった。いつも学校の入学式の時期には満開で散り始めたりしていたが、同じ時期になっても、まだつぼみ状態の桜の木が多い。でもこのところ気温がいっきに上昇したので、あっという間に満開になるのだろう。

それにしてもこんなに桜が好きな国民が世界中にいるのだろうか。桜は意外にも世界各地で自生の木があるそうだけれど、日本は栽培種が非常に多いのだそうだ。それだけ昔から桜が愛されてきたのだろう。

毎年桜前線に一喜一憂させられる。寒い冬から暖かい季節への期待感も一緒になって、桜の開花が本当に持ちどおしい。日本は縦に長いので、各地の開花時期が少しずつずれるのもまたいいものだと思う。

毎年改まって花見に行くわけではないのだけれど、近所を歩いても桜の木を植えているお宅も結構あるし、神社や学校や公園に行けば、たいてい何本も桜の木があって、通り過ぎるだけで、花見気分を味わえる。

まさに華やぐという言葉どおり、辺りがピンクに染まって美しい。やさしい色なのでピンク一色になっても目に柔らかい。日本人の色彩感覚はひょっとして桜の花の色が影響しているのかしら。桜色にマッチした色合いが好まれてきたようにも思う。

最近はビビッドな色合いも好まれるようになってきたけれど、やっぱり昔から好まれてきた柔らかい色合いはすばらしいと思う。着物や浮世絵などに見られる色使いは日本人ならではの感覚なのではないだろうか。

見るだけでなく、桜の花の塩漬けを桜湯にしたり、和菓子に使ったり、日本人は本当に桜が好きなのだ。潔く咲いて、潔く散る。はらはらと地面に落ちた桜吹雪も、またいいものだ。今年も、ちょっと遠出して花見にでも行こうかなって気分になってくる。

2005.4.7

新緑の季節になり、緑が目にあざやかだ。今までくすんだ木々や草花がいっせいに明るさを増し、空気まで新鮮に感じる。鬱蒼としているところでは、もうすでにむぁっとした草いきれがするし、木陰は一段と爽やかさを増している。

新緑に囲まれるとそれだけで、ストレスとは無縁のすがすがしい気分になる。その新緑に一役かっているのが雑草だ。いったい何百、何千種類の雑草があるのだろうか。繁殖力が強く、自然に発育する草が雑草といえるのだと思うけれど、野山が雑草で緑のじゅうたんを敷き詰めたようになるのだからすごい。遠目にその緑のじゅうたんは非常に美しいし、ふかふかのその表面に腰をおろしたり、寝転んだりすれば、とてもいい気持ちだ。

タンポポやレンゲの花が群生しているのも美しいけれど、名も知らぬ雑草が道端で小さな花をつけているのも愛らしい。

ただ生えてほしくないところでもかまわず雑草ははびこっている。ほおっておくと、これが草かと思うほど茎が太くなって、ひっこ抜こうとしても抜けなかったりする。そして大きなミミズが姿を現したり、気味の悪い虫たちもうじゃうじゃと出てきたりする。

我が家の小さな庭も大部分が土なので、やはり雑草がいっぱい生えている。無精者の私としては、非常にやかいものな存在だ。1年中草ばかり取っている感じだ。特に雑草が生えないような処理はしていないので、取っても取っても限がないほど、生えてくるのだ。その雑草のなかでも、抜きやすいものと、根ががっちり張って非常に抜きにくいものがある。タンポポの花は可愛いけれど、すぐあちらこちらに発生してしまうので、見つけると根から抜いてしまう。葉を広くひろげる割りには結構簡単に取れる。

庭の手入れを含めて、歳をとると、一戸建ての管理がしんどくなるので、マンションに住み替える方も多いと聞く。自分の身の回りだけでも大変に感じるようになったら、やはり考えてしまうかもしれない。

雑草を見て美しいと思ったり、やっかいものと思ったり、自然界からしたら人間は身勝手な存在なのだろうと思う。

2005.5.6

雑  草

まだ全国的には梅雨入りしていないところが多いが、蒸し暑い日もあったりして、徐々に本格的な夏に向かっている。

地球温暖化防止のため環境省が「クールビズ」を提唱している。国会議員や官庁職員が率先してノーネクタイの軽装を実施しているようだ。店員がアロハシャツで接客するデパートもあるそうだ。お堅い職業の方々が軽装をしているのはまだしっくりこないのだけれど、そのうち見慣れてきて何とも違和感を感じなくなるのだろう。

ネクタイをした人としない人をサーモグラフィーで見ると、首から上が明らかに熱を帯びているのが前者だそうだ。うだるような暑さの中では、やはりネクタイをするのはさぞかしつらいだろう。そこへいくと女性はファッションがバラエティーに富んでいて、体を締め付けない洋服を着ることができる。

ネクタイやスラックスや上着といった服装では、冷房の温度を下げたくなる気持ちも分かる。女性の場合は夏はもともと軽装なので、冷房を寒すぎると感じる人が多い。カーディガンを着たり、ひざ掛けを足にくるんだりして冷え対策をしている。軽装のままで、冷房のかなりきいた電車に長時間乗ったり、スーパーの生鮮食料品や冷凍食品売り場などにいると、とんでもなく冷えてしまう。

自然の気候に合わせて服装を変えるのは当然だろうから、クールビズはいいことだと思う。それに冷房の温度を28度以上にして、少しでも温暖化の歯止めをかけたいものだ。あまり冷房に慣れすぎると、体が暑さに対して抵抗力がなくなり、だるくなったりする。一時的なブームで終わらず、ずっと続いてほしい。

2005.6.8

クールビズ

ここ数年やっぱり気候がおかしい。梅雨といえば、1カ月位毎日のように雨が降り続き、たまに晴れ間がある程度が当たり前だったのに。全く晴れ間のない1カ月連日雨という年もあったけれど、ここ数年は全体的には空梅雨。そうかというと地域によっては集中豪雨になったりして、本当に変だ。

梅雨時の花といえば、何といっても紫陽花だろう。赤と青の紫陽花は土の性質のよるのだそうだ。私は特に青い紫陽花が好きだ。目の覚めるような濃い青、柔らかい青、ピンクとライトブルーの中間のような色、本当に多種な色合いがあって、言葉では表現できない。ホワイトの紫陽花もあるそうだ。

昔、鎌倉のあじさい寺に行ったことを思い出すけれど、また紫陽花が群生しているところを見てみたい。からっと晴れた時より、雨上がりにに観賞するほうが、きっと美しいだろう。

我が家の庭にも紫陽花の株が3つほどあって、手入れが分からずとても見事とはいえない。
1つの株は、母が挿し木で育てたガクアジサイで、中ではそれが一番きれいだ。水遣りをうるさく言われたので、それだけは守ったせいなのか。あとはやたら大きい株になって、まあまあ花もたくさんついた。色はちょっとぼやけているけれど、どちらかと言えば青い色をしている。もう1つは、ほどんど花をつけず葉っぱばかりだ。

剪定の時期とか調べたのだけれど、私にとっては結構難しい。恥ずかしながら、ほったらかしの庭なので、これからは少し手入れをしなければと反省している。
来年は少しましな紫陽花を咲かせることができるだろうか。期待と不安が入り混じる。

2005.7.5

紫 陽 花

例年であれば、7月の後半近くなってやっと夏本番の暑さになるのだけれど、今年は月からすでに真夏のような日が結構あったし、7月は曇りや雨の日以外はほとんど真夏の陽気だ。
暑いと頭がぼぉっとして、体はだるいし、なかなか活動的になれない。体のコンピュータである頭が
うまく機能しないので、体も同様なのだろうか。

たまらないほど暑い日に室温を測ったら36度もあった。サンルームのテーブルに温度計をしばらく置いておいたら、なんと計測不能で50度を優に超えていた。サンルームの屋根のシェードが古くなって、
枚のうち枚がダメになって、取り外してしまったため、陽がもろに入ってくる。なんとかしなければといろいろ考えて、思いついたのが「よしずとすだれ」だ。サンルームに面してパソコンが置いてあり、陽が差して非常に暑い。そこにすだれを下げた。よしずは縦270cm、横180cmの物で、サンルームの外に立てかけたが、見た目は涼しそうだけれど、真上から照らす陽は相変わらず入ってくる。屋根から入る日差しを遮らなければ変わらないのだ。なんとかしなければ。

それに風でよしずがすぐ倒れてしまうし、倒れないように何箇所か紐で縛ったが、上の部分は固定していないので、バタンバタンと大きな音をたてている。室温が少しは下がることを期待したけれど、実際は下がっていない。けれどすだれは影をつくってくれて涼しい気がするし、よしずを立てかけたので、目隠しになって網戸だけにできる。そういえばよしずをたてかけて薄暗くなっている家ってとっても涼しいかった昔の記憶が甦る。

そろそろ寿命がきそうなエアコンはまだほとんど使っていない。毎日つけてしまうともう無しではいられなくなるだろうし、体がよけい外の暑さに耐えられなくなりそうだから、もう少し使わずにがまんしようと思う。夏のまっさかりになったらどうなるだろうか。もっと暑さ対策を考えなければ。


2005.8.1

よしずとすだれ

真夏対策が特に思いつかないまま、9月に入ってしまった。まだ、残暑はかなり厳しい。
この夏は子供部屋を除いて、エアコンを2、3回しか使わなかった。よしずやすだれやカーテンで陽を遮り、戸や窓は網戸にして開け放した。それでも風がなく、暑い空気が家の中によどんでいた。

ほとんどの時間を過ごす1階のリビングでは扇風機2台をフル回転させた。それでもムウァとした暑さはなくならない。部屋の温度は毎日34〜36度を示した。あまりの暑さにエアコンに頼ることにした時は、なんと38度もあった。部屋の境目の戸を取り払ってあるので、エアコンの能力が追いつかず、28度ではとうてい涼しくはならなかった。25度に設定してなんとか暑さを凌げるようになった。

真夏の昼間も大変だが、熱帯夜もつらい。物騒なので、戸を開けて寝るわけにはいかないので、扇風機を壁に向けて寝ている間中ずっと弱にしてかけっぱなしにした。部屋の入口の戸も閉め切った。この暑いのに飼い犬2匹とも飼い主のそばで寝たいらしく、入口あたりに待機しているのだ。前はつい許してしまっていたが、人間を同等と見てしまうとのことなので、心を鬼にして絶対入れないようにした。そのため、隙間風も入らず、よけい暑い。飼い犬たちは朝まで入口の外で寝ていることが多く、たまにあきらめて1階に下りていった。

1日中雨模様で涼しい時があったが、室温を見ると28度だった。このくらいだと本当に凌ぎやすい。冷房の温度を28度にしましょうとよく言われるけれど、こんな温度をいうのかと実感した。9月も半ばになれば残暑も終わりになり、本格的な台風の時期になる。つい最近アメリカは過去最悪のハリケーン「カトリーナ」に見舞われたけれど、日本は大丈夫だろうか。

2005.9.1

冷     房

いつだったかスーパーで買い物をしたときのことが、まだ心にひっかかっている。我が家ではまとめ買いをしているので、必要な物を買い忘れないよう、またお買い得な物を手に入れようと、私は必死に買い物をしている。財布の中身と商品の値段、賞味期限、バーゲン品、いろいろと頭を悩ませながら、買い物をするので、時間と集中力がいるのだ。買い物を終わるのを待っている主人は1時間くらいをタイムリミットにしているので、大変なのだ。大抵はタイムオーバーになって、言い訳をするはめになる。

何か甘い物でも買おうかなと思って物色していると、そばで大学生と思われる二人の若者が連れ立って買い物をしていて、菓子パンを手に取って眺めていた。そのうちの一人が「やっぱり止めよう。」と言って残念そうに菓子パンを戻した。菓子パンはセールをしていたので、確か百円もしなかったと思う。

私なら、百円もせず食べたいものだったらすぐ買ってしまうところだ。今時の若者にもこんな人達がいるのかと、感心してしまった。家に帰ってから、家族にその話をしたところ、食べたかったら菓子パンぐらい買えばいいじゃないか、そんな些細なことで悩むなんて大物にはなれないというようなことを言われてしまった。私はそれは違うだろうと思いながら、上手く反論できず、黙るしかなかったのが口惜しい。

たかが菓子パンだけれど、だから我慢するのは難しいのでは。菓子パンを我慢できるような人は、全てのことに我慢強いと言えるかもしれない。自分の出来る範囲内でやりくりしていこうとするし、計画的に暮らしていこうとするだろう。菓子パンが我慢できるのであれば、粗食でも我慢できるだろう。エアコンがなくても、暑さ寒さも耐え凌げるかもしれない。ちょっと辛くてもがんばって勉強するのではないだろうか。こちらの思い込みかもしれないが、きっと立派な青年に違いない。苦労知らずで、欲しい物は簡単に手に入れようとする若者が多い中、とても偉いと思う。もう一度子育てをやり直したい。

2005.10.3

菓子パン

最近はガーデニングの関心が高く、きれいな庭のお宅が多い。犬の散歩のルートでも見とれてしまうような庭をよく見かける。大きな住宅が並ぶ地域は、同時期に建てられたこともあって建物も庭も同じようなデザインなので、その辺り一帯は整然として美しい。それでもよく見ると、個々に工夫があって、見ていてもとても楽しい。

そこへいくと、我が家の庭を見ると、ため息がでてしまう。ここ十年以上も植木の手入れをあまりしていないので、家の周りを囲む木々が伸び放題なのだ。金木犀は特に背が高くなって、電線まで到達してしまっているので、なんとかしなければならない状態だ。主流を占めているのがヒノキなのだが、これがまたすごい状態になってしまった。背も高くなってしまったし、うっそうと枝が生えて、フェンスからにょきにょきと突き出ている。無駄な枝を切り落としたりしていないので、内側の葉が枯れてパラパラと毎日落ちてくる。風のある日や雨の日には特に枯れた葉がたくさん落ちて、側溝が落ち葉でいっぱいになる。

そんな状態の庭なので、業者の方に庭の手入れを勧められたりする。金額は聞いたことがないが、想像するに相当だろうと思うので、とても簡単に頼めない。家も庭もいったん出来上がってしまったら、がらっと変えることはむずかしい。もっとすっきりした手入れのしやすい庭ならよかったのにと、つい手入れを怠ってきたことを棚に上げてしまう。

仕方がないので、思い切って手入れをすることにした。会社勤めの主人のたまの休みにやってもらうのはちょっとかわいいそうなので、暇だけはある私がやることにした。それに主人はあーだこーだとやる前からいろいろ言うにきまっているし、いつやるか分からないので、とにかく行動あるのみ。

フェンスから張り出しているヒノキの枝を切ることにした。これがまたグロテスクな形状で枝が伸びているのだ。思い切って幹のところからバッサリ枝を切り落とした。あちこちで枝分かれしているので、更に切り落とさなければフェンスから抜けない。やっとフェンスから切り離された枝は、とても大きい塊で、重さもかなりのものだった。それがいくつもあって、庭の中は切られた枝で山が2つできた。このままでは処分できないので、さらに枝を短くするためにまた何度ものこぎりを入れなければならず、作業は翌日に持ち越した。筋肉痛で頭痛になってしまったが、おかげで風通しがよくなったのはうれしい。それにしてもこれからはこまめに手入れしなければとつくづく思う。

2005.11.1

庭の手入れ

                              ダイエット

ダイエットへの関心はいつごろから高まったのだろうか。サプリメントやエステサロン、ヨガ、ジム、自然食などいろいろな物が流行っている。それだけゆとりがあるということだろうけれど、食生活や精神面や生活習慣に支障があるとも言えるかもしれない。エステサロンの広告でスリムコンテストの写真などを載せていたりすると、つい見てしまう。こんなに太っていた人が、別人のようにやせてモデルのように変身したりしている写真を見ると、驚きと羨望の眼差しで食い入るように眺めてしまう。それにTVでダイエットのことをやっていたりすると、家事の手を休めて見入ってしまう。

こんなにダイエットに関心が高いということは、私のような人が多いということなんだろう。若い人ならいざ知らず、いまさらこの年でどうでもいいんじゃないのという考えかたもあるけれど、ジムでは高年齢の方が大勢汗を流しているのだ。年齢に似合わず、とてもシェイプアップした体つきの方が実に多い。ジム仲間ができて楽しんでいらっしゃるようだが、根気がないと続かないことなので、感心してしまう。

私はといえば、二十代のころより14kgオーバーして、明らかな中年太り。7kg増加したあたり頃から、太りぎみを意識するようになった。それ以降室内で自転車こぎ、ダンベル、ダイエットサンダル、足踏みなどいろいろ試したけれど、長続きしない。自転車がいちばん長くて8カ月続いたけれど、ダイエットサンダルにいたっては2,3日で止めてしまった。物ぐさなので、道具を使うダイエットは続かないようだ。

10月半ばに某TV局の人気番組でダイエットのための3分間体操を紹介していた。有酸素運動と無酸素運動を交互に繰り返して、たった3分で効果がでるというものだった。これなら道具はいらないし、時間も短いし、食事制限もないとのことで、翌日からトライ。これが結構きつい。無酸素運動が私にとって大変なのだ。まず床に両手をついて、両足をそろえて後ろへ伸ばし、また元に戻す。それからバンザイしながら立ち上がる。これを30秒繰り返す。次にその場でランニングの有酸素運動を30秒行う。各3回ずつ計3分間行うのだ。

TVで体験に参加された方々はほぼ2週間で体重、体脂肪ともに減少していた。ところが私は2週間経っても結果がでず、それどころか1カ月半経った今もまだかんばしい結果が出ていない。相当重症らしい。そういえば昔から運動してもあまり汗をかかず、新陳代謝が非常に悪い。人の何倍も続けたら効果があるだろうか。いちばん気になるお腹周りは、しょっちゅう鏡に向かって確認している。こころもちお腹が少しへっこんだような気がしないでもない。少しでも運動量が増えれば、それだけ筋肉が鍛えられるし、体力もつくので、なんとかがんばって続けようと思う。

2005.12.3

                              母とトランプ

半世紀以上も回数を重ねてまた正月を迎えることになった。光陰矢のごとしということわざが身にしみて実感できる。去年の正月がまだ終わって間もない気がするのだ。特別思い出深いものであったならそうではないかもしれない。けれど暮れもバタバタとして年賀状も新年間際に書き終えたし、掃除も入念にはできなくて、大雑把に目立つところだけやっただけになってしまった。これもいつものことだ。

大晦日は片付けをしながらTVをちらっと観た。格闘技が好きな主人と子供たちは、「プライド」と「K1」をやっているチャンネルを切り替えるのが忙しそうだった。私も結構好きなので注目の対戦には釘付けになった。NHKの紅白は視聴率が下がっているようだけど、我が家もぜんぜん観なかった。そうこうしている内にもうすぐ新年を迎えるという遅い時間になってそばを作って皆で食べた。年越しそばだという思いで食べると違った味がするので不思議だ。

元旦はこれまた例年のごとく遅く起きて、年賀状を見たり新聞をゆっくり見たりしてすごすと、あっという間に陽が暮れてくる。例年は大晦日と元旦、2日の夜は、隣の私の実家で食事していたが、今年は大晦日は自宅で過ごすことにした。姉夫婦と母が住んでおり、姉がほとんど料理をこしらえてくれ、私はサラダぐらいを持ち寄るだけだ。おいしい料理を出してくれるので、子供たちもいつも楽しみにしている。

昔は母がおせち料理を何種類が作ったが、今は食生活が豊かになったせいであまり好まれないため、作るのはほんの少しだけになった。さんざん食べてきた私ですら、あまり食べたいとは思わない。ただ縁起物が食卓に上らなくなってしまったのは、ちょっとさびしい。

今年の正月も皆で恒例のトランプ遊びをした。いつも七並べばかりだけれど、好き勝手なことをしゃべりながら夜の9時くらいから、遅いときは夜中の2時くらいまで興じたりする。母は1日にちょうど八十八歳になったけれど、このトランプ遊びを楽しみにしているふしがある。普段は9時頃には寝ているのに、人一倍元気なのだ。いつまでも元気でいてもらうために、また次も同じ時を過ごしたい。

2006.1.9

                     ライブドア事件

ライブドアはすっかり有名になった。今年の1月半ばにライブドアに強制捜査が入ってから、その波紋は想像以上だ。その前は西武鉄道の粉飾決済で堤氏が失墜した。またかと思ったけれど、ホリエモンの逮捕、野口さんの謎の死、選挙の時に党をあげて応援した自民党に対する非難、外国を舞台にした大掛かりなマネーロンダリング、それに偽装メールで自民党を追求した民主党の永田議員と鵜呑みにした党幹部と民主党に対する非難など、未だに事件は終わらない。それどころかどんどん大きくなっていく感じだ。

最近は若い企業家が多く出てきたけれど、ホリエモンの印象はとても強烈だ。球団への参入や日本放送を買収しようとしたり、バラエティー番組に出たり、流行語大賞に選ばれたり、自家用ジェット機を乗り回したりとか、とにかく目立っていた。自分の才覚だけで時代の寵児にのし上がったホリエモンを尊敬し、そうなりたいと思っている若者はいっぱいいる。見た目はいかにも普通ぽくって、自分もそうなれるかもしれないと思わせるところがあるのだろうか。

最初マスコミに出始めたころは、若いのに中年ぶとりしていて、とてもふてぶてしい感じがした。バラエティー番組に出るようになったり、選挙に立候補してからは、印象が変わって、親しみを感じるようになった。でも、そんなに何にでも首をつっこんで、いったい何をしたかったのだろうか。すべては自社株を高くするための、売名行為だったのだろうか。たとえ資産世界一の企業になっても、中身がともなっていなければなにもならないのに。

お金さえあれば何でも手にいれられると豪語していた結果、獄中にいる今何を考えているのだろう。大金を持つことによって、ぜいたく三昧ができるけれど、心は満たされるのだろうか。大金をもったことがないからわからないけれど、たぶんどこか満たされない気持ちになるのではないかしら。お金で得られる喜びは、何かはかない気がするのだ。

そういうわたしも、悲しいかなジャンボ宝くじを買ったりして、大金を夢見たりしてしまう。万一大当たりしたら、ああしてこうしてと考えているだけで、たわいなくわくわくしてしまうのだ。お金は魔物ということか。とりつかれるとほかのことが考えられなくなってしまったり、魔が差して悪事に手を染めたりしてしまうのだろうか。ホリエモンはある意味で正直な人で、普通の人の欲望を代弁した人なのかもしれない。

2006.3.3

                       掃 除 機

いつも当たり前のように使っている電化製品は、使えなくなるとはじめてありがたさが分かる。掃除機もそのひとつ。ほうきやはたきだけで掃除しようとしたらとっても大変。じゅうたんは特に困ってしまう。それにほうきで掃くだけだと、ほこりが家中に舞い上がってしまうし、ゴミの処理も面倒だ。やっぱり強力にほこりを吸い取ってくれ、ゴミも収納してくれる掃除機はありがたい。

その掃除機がダメになってしまった。2、3ヶ月前からジャバラ部分が傷んできて、ビニールテープで補修して使っていた。ところが靴下を吸い込んでしまって、途中でつまってしまった。もうこれで寿命なのかしら。この掃除機は、記念に姉からプレゼントされたもので、いつから使っていたか覚えているのだけれど、なんと28年間働いてきたのだ。だからよけいに捨てたくなくて、動く間は使いこなしたかった。まだモーターはぜんぜん大丈夫なのだけれど、ジャバラは痛々しい。

こんなに長持ちした家電は他にないのではないかしら。洗濯機も冷蔵庫もテレビもオーディオ機器もそんなにもったものはない。電化製品は日進月歩で新しいものが次々に出てきて、機能やデザインがますますよくなり、新しい物が欲しくなってしまう。掃除機ももっといいのが出てきているのだろうけれど、長年使っていると妙に愛着がわく。なんとかまた使えないか、電源のオンオフを繰り返したりしてもやっぱり、靴下は途中でひっかかったままだ。仕方がないので、2、3年前に2階用に買った掃除機を使うことにした。でも、コンパクトな分、パワー不足で物足りない。やっぱり前のほうが良かった。

最近は、PSEマークの付いていない中古家電は販売できなくなったとか、レンタルならマークがついてなくてもよくなったとか、わけがわからないことが言われている。せっかく製品として生まれてきたのだから、ほしいと思う人がいたら、愛用してもらうことによってうかばれるのじゃないでしょうか。

食べ物は胃袋に入ったらそれで終わり。消費する額も相当なのに、ちゅうちょせずに買ってしまったりする。一方物を買うときは、ちょっと、あるいはじっくり検討してから決断したりする。その結果、長いこと役立ってくれたら、食べ物に比べて、物って本当に安いなと思う。今まで28年間もタフに働いてくれた年代物の掃除機にありがとうと言いたい。

2006.4.4

                      歯の治療

なんだか最近は歯科医院に行く回数が増えてしまった。若い頃はめったに行ったことはなかったのに。昔は特に歯の手入れを入念にしていたというわけでもなく、むしろ無頓着だった。中年男性は食後に楊枝を使ってシーハーするなんていわれたりするけれど、私もちょっと同じかもしれない。さすがに楊枝を使うのがはずかしいけれど、食べ物がよく歯の間に挟まるのだ。加齢のせいなのかしら。

この間ガムを噛んでいたら、左上の奥歯のかぶせ物がとれてしまい、その後間もなく右下の奥歯のかぶせ物もとれてしまった。こんな状態では物を噛もうにも上手くできない。仕方がないのですぐ歯科医院に予約を入れた。予約はいっぱいなので1週間くらいはがまんしてゆっくり噛むしかない。

歯医者さんに治療してもらうのがイヤでない人っているのだろうか。治療イスに座る度に、もう来たくないといつも思う。幼い子供だったらなおさら恐ろしさで身が震えるのは当然だろうな。今通っている医院の歯医者さんは、とてもていねいで腕も良さそうだし、その点では安心なのだけれど、やっぱり治療イスの上では身をこわばらせてしまう。今回は一度に2箇所もかぶせ物を作り直さなければならないので長くかかりそうだ。

最初に右下の歯の処理をした。左上の歯は、隣の歯が深い虫歯になっていて、神経を抜くことになった。虫歯の状態によるのだろうけれど、麻酔の注射を4本打たれた。上あごにされた注射はずーんとして妙な感じだった。感覚が局所的になくなってしびれてきた。奥歯なので先生もやりにくそうだったけれど、私の口もいろいろひっぱられて最大限大きく開けられた。治療中つばがたまってしまったり、急にたんがからんだりして困った。緊張する必要はなかったほど、痛みは全くなく治療が行われた。また2週間後に続きの治療をすることになっているけれど、ここまでくればあともう少しで終わり。

私は歯並びがあまり良くないせいか、歯のきれいな人がとても気になる。美男美女でも口を開けたらひどい歯並びだったりすると、がっかりしてしまう。野球の新庄選手は別格だけれど、歯が美しいと健康的で魅力的だ。そう思うのだったらせいぜいこまめに手入れすればいいのだけれど、これが難しい。間食は止められないし、歯並びが悪いうえに歯に隙間があまりないので、歯間ブラシを使うのも面倒。でもこれからますます歯は弱くなることはあっても、強くなることはないので、やはり努力してケアしなければとは思う。

2006.5.2

                      電車の中

今は通勤で電車に乗ることはなく、たまにしか乗らない。
用事があって都心まで電車を乗り継いで出かけた。午前11時少し前で、そんなに混んではいなかった。それでも若い人たちが目立ち、様々な年齢層の方たちがいた。
電車の車両内の世界は、考えてみたら、とってもおもしろい。
年齢、性別、服装、生活レベル、目的、住んでいる所、性格、乗る駅、降りる駅、その他いろいろ違う人達が同じ空間にいるのだ。

ジロジロと見たり、突然話しかけたりしたら、けげんな顔をされてしまうだろうから、皆他人のことには無関心を装っている。でも話を聞こうとすれば、会話の中身が聞こえるし、見ようとすれば、どんな格好をしていて、どんな容姿をしているか観察することができる。にもかかわらず、話を聞かれたり、見られたりしてもほとんどの人は気にしていないのだろう。とっても大きな声でおしゃべりしていたり、目立つ格好をしていても全然気にする風もない人が多い。

私が座った席の隣やすぐ近くでは、若い人達がかしましくおしゃべりをしていた。おしゃべりが聞こえている方としても全然知らない人達だし、自分と関係がないことをおしゃべりしているのだろうから、聞こうと思えば聞こえるけれど、全く気にならない。団体で騒がしくされたら、さすがにいたたまれないだろうけれど、結構うるさくても不思議とわずらわしくない。ちょうど本を読んでいたけれど、集中して読むことができた。

用事を済ませたら、そろそろ帰宅ラッシュが始まろうとしていた。車両はOLやサラリーマンでいっぱいだった。若いOLらしき二人の話声が耳に入る。「遊ぶとお金がなくなっちゃうからね。」「そうよね。奨学金を払って、家賃を払ったらほとんどなくなっちゃうし。」そんな会話が聞こえてきた。見るとはなしにちらっと目をやると、まだ二十歳そこそこの可愛い二人づれ。ちょっとほのぼのとした気がしてきた。若い当時は、毎日の通勤に疲れを感じていたけれど、今はとってもなつかしいし、もう一度経験したくなるような気持ちになった。ほんとに不思議な空間だ。

2006.6.

                      遠藤実さんの話

日経新聞朝刊の最終ページに「私の履歴書」というコラムがあり、遠藤実さんの話を途中の13話から何気なく読んでみた。五十代以上の人なら知らない人はいないほどの有名な作曲家。流しをしているときに、ある居酒屋のおかみさんから、「あんたの顔を見ると酒がまずくなるから外に出て」と言われて、外でくやし涙を流しながら歌ったという内容だった。処分した新聞の束の中から、1から12話までを必死で探したら、3話ほど抜けていたけれど、なんとかそれまでに書かれていたことを知ることができた。

小説のようにぐいぐい引き込まれるような文章。半端ではない極貧の生活、歌に対する情熱の深さに心を打たれる内容だった。私だけで読むのももったいないし、下心もあって切り抜いた。30話で完結だった。
冷蔵庫の中を見ては、ろくな物がないとほざいている我が家の息子や娘に、若かりしころの遠藤さんがどんな物を食べていたか、また好きな道を歩むということがどんなことか教えてやりたい。

極貧の中では生きていくだけで精一杯なのに、歌に対する情熱をずっと失わずにこれたのは驚異的だ。もっとも心も体も飽和状態だったら、情熱が沸きようがないのかもしれない。渇いているから情熱の激しさも尋常ではなかったのだろう。人の辛らつな言葉もバネになったに違いない。普通の人が経験しないことをバックボーンに持っていると、考え方や人との係わりに誤解を生じることも多かったと思う。

最大の理解者の奥様の存在は大変大きく、その奥様が亡くなられたことが最終話でつづられていた。奥様の存在なしに作曲家として名をなすことはできなかったと感じておられるようだ。
よい話なので、いつかまたこの切り抜きを読みたいと思う。

2006.7.1

                       夏 風 邪

風邪をひいて寝込むのは年に1、2回だけれど、その1回目の風邪をひいてしまった。季節の変わり目ということもあるし、サッカーのワールドカップドイツ大会、ウィンブルドンテニス大会が重なってあったので、どうしてもTV観戦で夜更かしをして生活習慣が乱れたのが一番の原因だったのではないかしら。明け方の3時、4時などに目をらんらんと光らせて夢中で観ていたので、そのつけが回ったのかも。サッカーでは日本は決勝に進めなかったし、大会が終了したとたん急に疲れがでてしまった。7月10日に両大会が終わり、翌日くらいからちょっと風邪気味になった。

なんだかふらふらするし、喉の調子も悪い。2、3日様子をみていたら、悪化したらしく39度近い熱が出てしまった。平熱が36度くらいなので、37度を超えると体調がおもわしくない。どうりでだるいわけだ。喉が炎症を起こしているようで、うがい薬も滲みて痛い。市販の風邪薬を飲み、何度も薬でうがいし、氷枕をして休んだ。犬の世話、食事の支度など最低限のことだけして、後はずっとベットに横になった。

昼間は食べたいものだけ口にした。くだものやアイスクリームなどなら食べられた。夕食はほんの少しだけそれでも食べることができた。物が食べられるだけ元気は残っていてよかった。3日ほど高熱が続いたとき、ふと鏡で自分の顔を見てぎょっとした。10歳くらい老けたように見えた。具合が悪いとただでさえ明るい顔はできない。その上高熱が続いたので、相当にげんなりして、顔中の筋肉が衰え、肉がたれているのだ。首まで肉がたるんでいる。あまりのひどい形相に我ながらびっくりして、おもわず顔をはたいた。

こんな顔をしてもう寝ていられない。一生懸命鏡の前で、表情を作ってみた。「いいね」と言ってみると、ちょっとはりがでてくる。何度も何度もマッサージや筋肉を動かしたりすると、少しずつ回復してきた。手足の筋肉は寝込んだりしていると、すぐ衰えてくるのが分かるけれど、顔や首も同じように筋肉が衰えるようだ。

鏡に映った衰弱した顔を見たことによって、元気を取り戻せたのかもしれない。3週間も経っているのにまだ、喉の調子がいまいちだし、せきが出ているけれど、体は十分動けるようになった。カリカリ怒っているとき、気分が落ち込んでいるとき、体の具合が悪いときなど、ちょっと鏡を見てみると自分自身を取り戻せるかもしれない。

2006.8.1

                     パ ソ コ ン

パソコンのない家はあまりないほど、すっかり普及してしまった。それでも団塊の世代の私の知り合いには、まったくパソコンを使わない人もいる。我が家では、今ではパソコンはなくてはならないものになった。地図や乗り換え案内を調べたり、ショッピングができたり、調べたい情報を検索したり、ありとあらゆることが家にいながらにしてできてしまうのだ。だから、パソコンを使わないなんてなんともったいないのだろうと思ってしまう。

ところが、この間インターネットが急に繋がらなくなった。原因は全く分からない。夜だったのでプロバイダーのサポートセンターには連絡できない。翌日の朝までどうにもならない。パソコンがなくてはならない人にとっては、そんな状況は致命的だ。私も細々とネットショップをやっているので、慌ててしまった。幸か不幸かあまり慌てる必要もないようなお店ではあるけれど。

翌日サポートセンターに真っ先に電話した。電話口に出たのは若い女性。てきぱきと質問し、指示をしてくれた。ただ機械オンチで、目が悪い私は、接続コードがどうなっているのかかいもく分からず、線の抜き差しを指示されても、まごまごしてしまった。相当手に負えないユーザーだったに違いないけれど、ひとつひとつのやりとりに「ありがとうございます。」と言いながらていねいに応えてくれた。感謝感謝。おかげでインターネットが繋がった。

どうして文字や音や映像の情報を送受信できるのかすら全然分からないほど基礎的な知識がない私でも、パソコンを操作していろいろなことができてしまうので、ますますパソコンへの依存度は高くなってしまう。パソコンがなかった時代に比べてひとりが知りうる情報はいったい何倍になったのだろう。ちょっと想像がつかない。

情報にあふれて、人が本当に豊かになったのかしら。なんだかいろんな情報を知りすぎて、想像力や期待感が薄れてきているかもしれない。それでももう手放せなくなってしまったパソコン。これからもますます技術が向上することは確かだし、なんとかしてついていくしかないかなと思う。

2006.9.1

                      豆      腐

暑い夏は冷やっこはさっぱりしておいしい。日本食っていいなと、豆腐を食べながら思ったりする。でも、毎日のように食卓にのぼったら、また今日もかということになってしまう。豆腐料理といえば、冷やっこの他には、湯豆腐、マーボ豆腐、揚げだし豆腐、豆腐ステーキくらいしかレパートリーがない。あとは鍋物料理に入れたり、味噌汁の具にしたりはするけれど、ネットで調べてみたら、豆腐を使った思いがけないレシピがいっぱい紹介されている。もっともっと工夫すれば、素材を生かした様々な食べ方があることを知って感心した。

豆腐はもともと中国で生まれて、奈良時代に日本に伝えられたとのことだけれど、その後日本なりの創意工夫がなされたのではないだろうか。中国の豆腐と比較して食べたことがないので、どう違うのかわからないけれど、日本人は豆腐そのものの味を楽しんでいるように思う。

店で売られている豆腐の種類って本当に多くてどれを選んだらよいか迷うほどだ。節約したいときは、非常に安い豆腐もあるし、また逆に豆腐にしてはとても高価なものもある。値段で選んだり、大豆の品質内容で選んだり、メーカーで選んだりしている。よく買うものもあるけれど、食べてみないとわからないので、いろいろと挑戦したりもする。

このところ、我が家ではちょっと豆腐ブームになっている。冷やっこばかりだと飽きてしまうので、サラダに一口大に切った豆腐をのせ、好みのドレッシングをつけて食べることが多い。和食風にワカメやちりめんじゃこをよく加えたりする。よく食卓にのぼってもサラダの具を変えればまた違った美味しさになって、飽きがこない。サラダ用の豆腐というのがあって、けっこう値段が安くておいしいので便利だ。

TV等で話題になった某メーカーの豆腐を娘がコンビ二で買ってきた。半信半疑でスプーンですくって食べてみたところ、今まで食べたことがないおいしさだった。醤油をたらしただけで食べてみたけれど、とろけるような食感でまるでケーキのようだ。豆腐でこんなに感激したのは初めて。値段は普通の豆腐に比べておよそ3倍くらいするが、肉や魚と比べたら安いものだ。味をしめてまたコンビ二に買いに行った。何も料理せずにおいしいのはうれしい。

最近は豆乳人気だし、おからも見直されている。肉や魚よりもダイエットに良さそうだし、これからは豆腐料理にもうひと工夫して、もっとおいしく、もっとひんぱんに食べようと思う。

2006.10.2

                      子供の体力

最近の子供たちの体力が極端におちているらしい。自分の体をうまくコントロールできず、よく転んだり、まっすぐ走れなかったり、距離感がつかめず物を上手に捉えることができないとのこと。そんな子が増えているそうだ。

意識しなくても自然に体をコントロールできるはずなのに、それができないのだ。特に運動神経がよくなくても、普通にできるはずのことができないのは、一大事。走るのが速くなくても、器用でなくても、体を動かして大いに遊ぶのが、子供の特権なのに。

私の子供時代は、外で遊ぶといえば、かくれんぼ、石けり、なわとび、馬とび、ゴムなわとびなどいろいろあって、ゲーム機などなくても、ほんとに楽しかった。私は活発なほうではなかったし、むしろ運動オンチだったけれど、あきずに暗くなるまで遊んだりした。体を動かすだけで本能的にうれしかったのかもしれない。運動が得意、不得意に関係なく、いろいろな優劣に関係なく、十人十色の性格を持った子供たちがいっしょに遊んだものだった。

今の子供たちはかわいそう。体を動かしたくっても、安心して遊べる空き地が少ないし、塾へ行っている子も多く、時間がない。仕方がないから、外で遊ぶより安心だし、あれでもかこれでもかと次々に発売されるゲームに夢中になったりしている。それに大人たちが子供たちをランクづけしたり、レッテルを貼ったりするものだから、子供たちはがんじからめになって、心をオープンにすることができないのではないか。だから大勢で遊ぶことも少ない。

体を動かすことによって、いろんなことを忘れて遊びに没頭できるけれど、ゲームばかりやったり、受験勉強に励んでいたら、ものすごくストレスがたまってしまうのではないだろうか。ストレスのはけ口がたくさんあったほうがいい。ひとをいじめたくなったり、いじめられて悲しんだり、勉強ができるできないで比較されたり、そんな様々なストレスも、単純に体を動かして遊ぶだけでも、減るのではないかしら。

「よく遊びよく学べ」とはよくいったもので、両方のバランスがとれていないといけない。心身ともに健康であるためには、やっぱり体力が必要なのだと思う。

2006.11.1

                    高齢者とペット

65歳以上を高齢者というそうだけれど、かなり近い将来である私にとって、抵抗がある呼ばれ方だ。それはともかく、65歳以上の人口に占める割合がどんどん高くなって、今は20%、2015年には26%になって、4人に1人が高齢者になるとのこと。

昔より活動的な人が増えて、若々しい高齢者も多いけれど、身体的に衰える人も多い。最近はペット、特に犬を飼っている高齢者が増えている。ペットはいるだけで癒されるし、生活に活力を与えてくれる。ペットを飼うと、ボケ防止になるとよく言われるけれど、ほんとにそう思う。ボケていたら世話がやけないし、可愛くて面倒をみるのがうれしいのだ。

88歳になる母もミニチュアダックスを4年前から飼い始め、会うたびに飼い犬の話題をする。姉夫婦と住んでいるので、全面的に面倒をみているわけではないのだけれど、しつけは自分でしなければという意識でいるし、いつもよくだっこをして過ごしている。ペットの人への影響はかなり大きいようだ。いるといないでは全く空気が違ってしまう。自分自身の生活をみても犬がいなかったら、どんなに味気なかったろうと思う。主人も飼い犬達にお出迎えされるのが、何よりうれしいようだ。確かに、家族でもあんなに喜んで、愛らしく出迎えてはくれない。無邪気なところがなんとも可愛い。

ところが、そんなペット事情に問題が起こっているのだそうだ。高齢になってから犬を飼い始めたけれど、体を壊してしまったり、亡くなったりして、世話ができなくなってしまうケースが増えているとのこと。家族の一員のように可愛がっていても、身体的に世話することができなくなり、泣く泣くボランティア団体に引き取ってもらたりする人も多いと聞く。でも引き取ってもらえる場合はいいけれど、やむなく処分される場合もあるのではないかしら。

我が家の2匹の飼い犬は家族を癒してくれる大切な存在だけれど、ときどき不安になることがある。一番接することの多い私が病気になったとき、長時間あるいは長期にわたって用事があるとき、どうしようかと考えあぐねてしまう。犬の寿命も長くなって、20年くらい生きるものもいる。高齢になってからペットを飼う時には特に慎重になるべきなのだろう。ペットにとって、愛されていたならばよけい、主人から切り離されるのは悲しいことにちがいない。私たち夫婦にとって、犬を飼うのはこれが最後になるかもしれない。犬も自分達も共に元気で暮らせるように、病気やけがをしないようにしなくては。

2006.12.1